「紙に書いたことをパームにも入力しておけよ」という上司。「もう入力されています」という部下。別の上司がさらに声をかける。「だったら最初からパームに入力したらどうだ?」。
アノト社は,書かれた内容をワイヤレスでPDAに転送するデジタルペーパーを開発,事務用品メーカー9社の紙製品に組み込む予定を発表した。このデジタルペーパーは,紙自体が情報内容がなんであるかを識別し,ペンは,ペンの動きを記録,それをムービーに変換,そしてパソコンやPDAへの送信という作業を行う。
たとえば,紙に書かれたテキストを読むのと,モニタでウェブのテキストを読むのと,どちらが簡単に頭に入ってくるか(過去記事)。パームに直接入力するのはちょっと大変だとしても,モニタを見ながらキーボードをたたくのと,紙にボールペンを使って書くのと,どちらが自分の意志を簡単にまとめられるか。それは「慣れ」の問題か? 「素質」の問題か?
いつから紙に向かってペンを持つということをしなくなったんだろう…,いつから紙の上の文字を読むよりもブラウザの中の文字を追いかけるようになったのだろう…,と振り返ってみる。この気持ちをまとめるには,この考えを結合するには,この空想を形にするには,以前はペンと紙とを持っていたのに,今はキーボードを打ち,それがエディタに表示されていくのを見て,というスピードが,思考の形となっている。紙に書かれたものを読み進めるよりも,モニタ上のアンチエイリアスされたbit textを,左から右に追っていく方が頭に入ってくる。これは慣れてしまったということなのか? それとも,生まれる前から持っていた「思考」を形にするいちばん楽な「指」と「手」なのか? 紙は,もう必要なものぢゃない。モニタに映る文字,指先がキーボードをたたくことによって生まれてくる思考…。最初から,これ,だったんだという,確信にも似て。
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